Discommunication Disco

寂しい星の寂しい人へ

セライル⑧ 臙脂の扉(2)

 女の言うまた来た、という言葉がセライルの耳に引っ掛かった。確かあの老人は「セライル」という名前を、まるで護符か何かのように語っていたが、以前にも自分と同じように、透明病になりたくて(あるいは他のあらゆる望みを抱えて)、塔の中へ入った人間がいたのだろうか。

 それだけではなく、このパフォーマーのような、安アパートに場違いな恰好をした女は、「ここから出られたのに」とも言った。セライルは自分の上着の裾をきつく握りしめた――この女は間違いなく、死者の一人なのだろう。そして、もしかすると、「セライル」以外の人間を見つけて捕らえたならば、その魂と引き換えに、塔から出て生き返る権利を与えられるのかもしれない。それは彼女の憶測にすぎなかったが、警戒するに十分な理由となりえた。

 押し黙ったままのセライルの顔を覗き込むようにして、女は笑いかけて言った。

 「ねえ、折角来たんだし、少し休んでいきなよ」

 「……え」

 「あなた、何代目のセライルなのか知らないけれど、これから先、長いんでしょ。私も久々に話し相手が欲しいし、お喋りしましょ。もっとも、ここには今、何もないけれど」

 その表情が柔らかいので、幾らかセライルの緊張は解れ始め、女に促されるままに彼女はテーブルの前へ腰を降ろした。女は彼女の向かい側に足を崩して座り、頬杖をついて上機嫌に微笑んでいる。死者という立場だから物騒な台詞を口にするだけで、もともと外向的な性分なのかもしれない。女は華奢な体格で、そばかすの目立つ白い肌に、彫りの浅い、つぶらな瞳をしていた。歳は二十代後半だろうか。やたらと大きなシルクハットのつばの陰で、傷んだ短い金髪が慎ましく収まっている。

 「ああ、この帽子、やっぱり気になる?」

 セライルの視線に気づいたらしく、女はつばの部分に手をやりながら言った。

 「どのセライルもみんな、私を見るたびに、不思議でたまらない、って顔をするのよ。まあそれはそうよね。こんなおんぼろアパートに、ド派手な手品師の恰好をした女がいるなんて」

 「…どこかでショーをやっていたの?」

 セライルはか細い声で尋ねた。手品やサーカスの舞台へ足を運んだ事は一度もないけれど、絵本の中でその存在を見知っていた。

 「そうね。昔はね」女は頷いて、遠くを見るような目をした。「昔は売れたわよ、ほんとうに……ジャレッドという名前でね…」

 ジャレッドと名乗る女はおもむろに机の上の雑誌を手に取り、ぱらぱらと捲って見せた。雑誌の中盤辺りの見開きに、派手な字体の見出しと、舞台の上で手を振る彼女の白黒写真があった。

 「文字、読める?」

 セライルが首を横に振ると、女は一字一字を指さして説明した。

 「奇跡の手品師、って書かれているのよ。望んだものを、何でも瞬時に取り出したり消したり出来る…」

 そう言って女は不意に帽子を脱ぎ、机の上に置き、右手をパチンと鳴らした。次の瞬間、女が帽子を再び頭上へ戻すと、机の上にはティーポットと洒落たケーキが現れていた。

 「ミトアと少し似ているかしらね」

 絶句するセライルに「どうぞ」と菓子を勧めながら、女は滔々と、自分の過去を語り始めた。